○山号 

新義真言宗佛到山無量壽院

西光寺

新義真言宗

西光寺

○所在地 

東京都台東区谷中6丁目2番地20号

     

○宗派

新義真言宗

○総本山 

和歌山県岩出市根来2286

○本尊

五大明王

○開基

(法名浄光院殿傑堂天英大居士)

◇沿革 

慶長8年(1603年)傳燈大阿闍梨妙音院法印宥義大和尚(佐竹大膳太夫義篤の二男)が幕府から寺地を給わせられ神田北寺町に開山する。開基は法名浄光院殿傑堂天英大居士(久保田藩主佐竹右京太夫義宣)。慶長8年、法名浄光院殿傑堂天英大居士が堂舎を建立致しました。仏寺創建の際には藤堂高虎が財政的支持をおこなったと伝えられています。慶安元年(1648年)寺地収公されたことにより神田から谷中の地へと移り、慶安2年に佐竹修理太夫義隆が堂舎を再建。明和8年に類焼によって堂舎が燃えてしまった為に佐竹右京太夫義敦が堂舎を再建。しかし、その後も寛政12年の正月に自坊が類焼してしまった為、佐竹右京太夫義和が堂舎を再建致しました。西光寺は、境内二千二百九十余坪の他に、寛永寺中堂 領年貢米一反一畝(1反=300坪、一畝=30坪)を添地とし、江戸期には、秋田藩(秋田市)佐竹家・伊勢津藩(三重県津市)藤堂家の祈願寺として信仰されてきた歴史があります。また境内には、多数の石像と共に藤堂高虎が安置した韋駄天像や、台東区有形民俗文化財に指定されている庚申塔が安置されています。 

韋駄天について

四天王南方増長天の八将の一つでシバ神の子と伝えられ、天部の仏神です。仏教徒が集まる場所を守る護法神としてよく祀られています。特に有名なエピソードとしては、捷疾鬼が仏舎利(釈尊の遺骨)を盗んで須弥山に逃げた際にいち早く追いかけ、瞬く間に仏舎利を取り返したことから、修行を妨げる魔障を追い払う力がある神様、盗難除けの神様として信仰されるようになりました。俗にいう「韋駄天走り」はこのようなエピソードから生まれ、また古来より足腰病平癒に効験がある仏神とされています。他にも「御馳走」という言葉も、韋駄天が釈尊のために東奔西走して食物を集めたとの俗信から生まれたと言われています。

日本に伝えれている韋駄天については、道教の韋将軍信仰と習合した影響から唐風の甲冑を身にまとった武将の姿で描かれていることが多いようです。また当山の韋駄天像は、藤堂高虎が安置したものと伝えられています。

庚申塔について

中国の道教に説く三尸説が母体となって、日本で仏教や神道などの信仰や習俗などが習合して成立しました。

道教では、人間の身体には三尸虫という3匹の虫がいて、旧暦で60日に1度巡ってくる庚申の日(宿主が寝ている間)と、宿主が死んだ時にだけ三尸虫が体外へ自由に出ることが出来るとされています。

その為、庚申の日に宿主が眠りにつくと三尸虫は、一日でも早く宿主が死んで自由の身になれるようにと、天に昇って天帝に宿主の悪事を報告して宿主の寿命を縮めてもらうよう働きかけます。そのことから長生きを願う人々は、庚申の日には寝ないよう「庚申待」という集会を開いて過ごしました。そこから庚申待を3年18回続けた記念として庚申塔を建立する風習が生まれました。庚申塔には、病魔・病気を追い払う力がある「青面金剛」が邪鬼を踏みつけた姿で彫刻され、下段には3匹の猿が彫刻されています。この3匹の猿は、三尸虫になぞらえ「見ざる・言わざる・聞かざる」というこじつけから、天帝に罪を報告させないという意味が込められているとのことです。

参考文献 『御符内寺社備考』
参考サイト

フリー百科事典『ウィキペディア https://ja.wikipedia.org/wiki/韋駄天
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